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当寺は、日蓮聖人に直接教えを受けた弟子、中老僧の1人越後阿闍梨日弁上人(1239~1311)が開いた寺です。
日弁上人は、日蓮聖人から東北方面にお釈迦様の教え(法華経)を広めるようにと命を受け、今の千葉県、茨城県、岩手県、青森県に向かう途中にこの土地に寄り、教えを説きました。
この土地を支配していた坂本八郎祐氏の三代目、伊賀守定照公という方が自分の屋敷を提供してお堂を建て、お寺にしましたので、寺名を公の名前をとって「定栄山 遠照寺」(じょうえいざん おんしょうじ)としました。永仁2年(1294年)のことです。東北方面に行き、多くの寺を建てましたが、陸中伊具郡櫻村(今の宮城県角田市神次郎町)にて暴漢に殺戮されました。遺体を千葉県に運ぶ途中、茨城県高萩市赤浜で火葬にして埋葬しました。日弁上人が使っていた杖が従者により遺品として遠照寺に届けられたため、塚を作って挿したところ、根を下ろし芽を出し、次第に成長して春には桜の花が咲き、人々がその下で楽しんだということです。数十年前に枯れてしまいましたが、今は日弁上人の杖櫻の碑を建立し、遺徳を偲んでいます。
遠照寺の本堂、客殿ほかすべての建物は、貞享4年(1687)に火災により、全焼してしまいましたので、宝物、記録等は残存しておりません。その後三代の住職により、73年掛けて再建され、現在に至っております。 |
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昭和初期、中央に杖桜が残る。 |
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