清い心は
善い行いを生み
汚れた心は
悪い行いを生む
あなたの心次第

今月のお言葉の清い心と汚れた心は『一生成仏抄』の一節「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云うも穢土というも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見えたり」から。 善いも悪いも同じ心を元としているにもかかわらず、その心次第で行いや発する言葉や顔色に表れてしまいますね。 今月の写経会でお話ししたブッタの言葉「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。」誰もが苦しみたくないと思っているのに、そこに見返りを求めたり、何らかの目論見があったり、他を陥れようとしたりする心があれば、例え達成したとしても心の片隅にスッキリしない何かが残り、それがまた違う苦しみを生んでしまう連鎖。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば・・・、そこは浄土になり、福楽が自然についてくる。清い心、澄んだ心、美しい心、経文で言うなら「質実意柔軟」でしょうか。そうありたいと思う心が大切!と、毎月思いながら私もお言葉に触れています🙏🏻